自分と自分以外

いつもどおりオチ無しです。
要は自分って何?いや自分という単語では不適切か。サンプルはすべてフィクションです。


例えば会社での他人からの私の評価判断は、仕事ができるか否かです。
1を伝えると1から10まで手間かけず持ってくるとか。
上司、顧客の時間を節約するのに役立つとか、専門技術を提供するとか。
その中で、自分の意思ってあまり必要なくて、ただひたすらに自分以外の人のためになんらかの価値を提供することが、自分のためになります。
自分が思う良い結果を提供するのではなく、自分以外の人が良いと思う結果や自分以外の人のためになる結果を提供する。プロセスは自分の自由ではありますが、やはり一番効率のいいものを選択する必要があります。
自分が完璧だと思った内容が、顧客に理解されないため評価されない。どちらが誤っているのだろう?


鏡を見て自分の顔がかっこいいと思う。けどそれって価値がなくて自分の顔を自分以外の人がかっこいいと思ってくれるか否か。逆に自分の顔がブサイクだと思っていてコンプレックスを持っていても、自分以外の人が自分をブサイクだという理由だけで冷遇しているのでなければ問題ない。学生の時はそういうこともあるけれど社会人になれば、あんまりそういうことはないはず。関係性の中で価値を提供できれば。かっこよくてもたいした価値を提供できなければチヤホヤされません。
自分の顔をかっこいいと思っているのに、自分以外の人が面と向かってブサイクだと言う。その時自分の思いと自分以外の評価に大きなギャップが生まれる。


バドミントンの試合をする。試合を楽しむというのもあるけど、根本的に勝つために試合をする。勝つために練習しないと、結局楽しむということが中途半端になる。
あるポイントに完璧なコース、スピードのスマッシュを打ちたいという欲求に駆られる時がある。でもそこにスマッシュを決めても結果試合に勝つかどうかはわからない。そのコースを狙うあまりミスをしたり単調な攻撃になったりするし。木を見て森をみず状態。スマッシュを打ちたいという自分の意思と、試合に勝つという自分以外が決める意思のずれ。


ギターを弾く。自分の評価では本当に3流。上にはきりがない。謙虚にならざるをえない。でもまわりは凄い凄いともてはやす。自分はダメだと思っているのに自分以外の人は素晴らしいという評価をする。調子に乗ってもいい?



自分と世界(自分以外の人たちの価値判断)どちらを選択するか?


・自分を選択する場合


大きな意味で世界を捉えると、周りを気にせず自分の信じる方向につっぱしっても、それでも世界は自分を受け入れてくれる。世界は広い。


でも自分の行動が、周りの人が期待する範囲、方向から大きく外れると軋轢が生まれる。周りの人は自分から離れるかもしれない。
その常軌を逸した行動が、このまちがった世界を変えるかもしれない。


自分を世界が認めないから、自分の正しさを証明するために世界を変える。
自分を世界が認めないから、自分が正しいと思う世界に移動する。環境を変える。

自分以外の人にとって自分という存在に価値があろうがなかろうが、自分は関係ない。自由だ。
自分が自分以外の人と違うことが価値があり、そうでないと世界は良くならない。


・世界を選択する場合
価値なんていうのは、自分以外の人が決めるものだ。
自分以外の人のために行動することが自分がこの世にいる価値だ。
自分は右と思うけど、自分以外の人は左というから左を選択する。
世界に不満ばっかり言ってないで、自分が変わればいいのに。不満の原因は自分の考え方がおかしいからだ。
自分のためだけに、私利私欲のために行動する人間がいるからこの世はよくならない。
みんなが自分以外の人のために行動すれば、結果みんな得をし幸せになる。



さあどっち?