思考停止

なんだかふと思った。
物事って、どっかで思考停止しないといけないし、逆に思考停止してはいけないなと。
なにがどっちなのか難しい。

  • 思考停止したほうがいいケース

例えば自分探しとか言って、現実を進めていかないのはやはりあんまりプラスにならない。実体験に基づくと。
大学の授業単位だけとってなんになるんだろうとか、サラリーマンになるのが自分にとっていいことなのか、自分の夢はなんなんだとか、自分はなにができるのか(なんもできん)。
一度大学を卒業し、とりあえず普通にサラリーマンになると決めて、思考停止して一歩ずつ前に進めと。進まないと決めるのも人生。

  • 思考停止しないほうがいいケース

実体験ではなかなかないなー。バドミントンとかお仕事の技術の吸収とかかなー。
マスメディアってなんでインターネットというかWebを忌み嫌うのか。
それとも旧メディアに親しんでいる人は、新しいメディアを嫌っているから、その人たちにリーチするように嫌っているような姿勢でいるのか。
前、途中まで読んだとこにも書いたけど、
メディア論 - 自分より自分らしい論理
新聞社はTVは取り込めたけど、TVはインターネットを取り込めなかった。
某ニュースキャスターは新聞のような古いメディアが嫌で、新しいTVというメディアで成功した自慢してたけど、激しくWebを批判していた。
やっぱり今TVで築き上げた立場とかを、また新しいメディアで築き上げる気にならないんだろうな。
かっこわるいなと思った。
というか要は、自分も含めて大人だけど(大人になれてない気はするし、大人がなんなのかわからない)、どういう時代なのかとか考え方は思考停止しちゃいけない。
僕のイメージする大人は(いやなイメージしかない)思考停止しているように見えて、話も通じない、価値観の拠り所がわからない。
ん?なんだっけ?話がずれたかな。
世界が変わっていくのに思考停止して、旧来の価値観にしがみつくなってことか。


仕事の大半は思考停止したほうが前に進むし、楽な気がするけど、それでいいのかというときも多い。
でまあ、いつもの結論としては、バランスとってある程度思考停止して、ある程度思考停止しない。
でも、こう階層というかある法則がみつかるんではないかという気もする。


慣れていないこと、ルーティンにならないことは思考停止して、
ある程度慣れてしまったことは、思考停止せずに進めということか?


うーん。言葉にすると難しいし、まったく結論が違うけど、こうやって出すことで一歩進める。